気持ちは思春期の40代リーマンのブログ

まだ自分探しが終わらない40過ぎオヤジのつれづれ日記

自分が自分であるために

と書き出してみたものの、”自分とは何だろうか”との回答をそもそも持ち合わせていないことに気づく。

 思い返すと10代のごろ、少しずつ自我についての意識が芽生え、”自分ってどんな人なんだ”と気になり始めた頃から、ずっとその答えを探しつづけ、”これだ”と見つけたつもりになっては、なにかの拍子で崩れるというサイクルの繰り返しだった。

 「自分は見つけるものではなく、創るもの」という考え方もある。確かに、他人から見れば、外部環境に対応するため、自分というものは変わり続けているのかもしれない。しかし、自分に自信をもち、自己を受け入れ、承認していくために、変わらない確固たる”自分”というものをどうしても求めてしまう。そして、その手にしたい「確固たる”自分”」は、ポジティブで世間一般に良いとされる価値観にかなり侵食されていることに気づき、「そんものを求めていたのか?」と自問自答し、出口のない迷宮に入り込んだような気持ちになる。

「失敗は成功の糧」、「諦めなければ必ず得るものがある」など偉人たちの伝記に登場する言葉は、たしかに心に響き、「考え方を変えれば、自分の人生も変わる」と気持ちを奮い立たせる効用がある。しかし、その効き目が継続することは稀で、”変わらない現実”という強敵の前ではいとも簡単に倒され、自らを騙しているだけではないかという感覚にすら陥る。

 そんなことを思いながらも、「たしかな自分」というものを求めているという事実は否定できない。今できることは、この事実だけを正面から向き合って、焦らずにこれからの人生を生きていくことかもしれない。